それはいつも使っている台所。いつもトフィが食事を作ってくれるテーブル。 おはよう、と笑いながら声を掛けてくれるトフィも何も変わらないのに。 「トフィ・・何してるの・・・?」 そこにはいつもは置かれていない、割れたガラス片が散らばっていた。 あぁ、これ?と何でもないかのように笑うトフィの顔に 何故か身体がビクンッと震えた。何か・・何かが違う。 割れたガラス片の一つを手に取ると、トフィはそれをテーブルに並べ始めた。 ただの透明だと思っていたそれは、しかしよく見ると所々に鮮やかな色がついている。 割れた繋ぎ目を合わすように青年はそれを並べていき、淡々と言葉を紡いだ。 「これはね、完成するととても綺麗な絵になるんだ」 青い海、晴れ渡った空、広大な大地・・。 トフィがガラス片を元の形に戻していく度、目の前に広がるのはそんな風景だった。 不思議と先程まで感じていた恐怖心と違和感は消え、少女は描かれていくそれに夢中になっていた。 「これ、落としちゃったの?」 「ん?」 これは元々全部繋がっていたはずだ。今こうしてくっつけているということはそういうことで・・。 それに・・・。 「さっきすごい音がしたから・・」 自分はそれにびっくりして起き上がってきたのだ。 いつもは物音立てずに朝食を作ってくれるトフィだからこそ、余計に驚いた気がする。 「あぁ、そっか。ごめんね」 そう言って青年が最後の一片をはめ終えると、そこには今自分達が住む村の全土が広がっていた。 普通の地図のように、一枚一枚のガラスが形を作っていてとても綺麗だった。 ただそれは・・・ 「ねぇトフィ、これってすごく・・細かくない?」 それはこの村を囲む森林や横を流れる川はもちろんのこと、 酒場や宿舎、この地にある全ての家までもが書き込まれ、正確な位置を示していた。 その言葉を受けたトフィは面食らったように呆けていたが、 それもそうだね・・と静かに笑った。 「でもカヤ。これぐらい大きくないとこれは意味が無いんだよ」 出来上がったガラスの地図を指差しながらトフィは言った。 「どうして?こんな大きくなくても・・」 わかるじゃない、と言おうとしたカヤの言葉はズンッと何かが崩れる音によって遮られた。 「!・・何?今の音・・・」 それは今いる家より遠くの方から聞こえたが、村の中なのは確かだった。 「山崩れかもしれないね・・昨日山を掘っていたし」 確かに昨日から村の中央にある山を男達が掘り始めていた。 何でもその山の地下には数え切れないほどの水晶が埋まっているとかで、 それを掘り出せれば莫大なお金に換えられると以前から云われていた。 けれどそれが今までなされなかったのには理由がある。 その山・シン山には古来より水の精が住んでいると云われ、 このような辺境の村に水の恵みがあるのはそのおかげだと伝えられてきた。 だから今まではどんなことがあろうと山に危害を加える者はいなかったのだが。 先月から交代した金に貪欲な新しい村長が村の富豪たちと結び、 住民の反対を押し切って昨日山へ刃を入れたのである。 そして今日も他の街から呼ばれた炭鉱者が山へ入っていたはず・・・。 そこでカヤは思い出し、平然とした顔で外を眺めている男に言った。 「トフィッ!そしたらあのおじさんたちは?大丈夫なの!?」 山からは遠く離れたこの家でさえあんなに大きな音が聞こえたのだ。 もし本当に山が崩れたのならその下を掘っていたあの男達は・・・。 「下敷きになったかもしれないね」 まるでそうなって良かったかのように青年は微笑みながら言った。 「ト・・フィ・・・?」 何故そんな優しそうな笑みを見せながらそんなことが言えるのか分からなくて、 少女が何か言おうとした時、それは目に入った。 「・・トフィ・・」 「ん?」 いつもと変わらない笑顔、口調で青年はこちらを向いた。 再び襲ってきた妙な違和感に心臓が早鐘を打つが、今はそんなこと気にしていられない。 「それ・・・」 少女の目に入ったのは先程青年が丁寧に並べていたガラスの地図。 その中に一箇所だけ空白ができていて、青年の右手にその破片が収められていた。 まさか・・と震える唇で呟いた少女に、相手は首を縦に振った。 「これはシン山の描かれたパーツだよ」 硬直して言葉の発せられない少女に視線をやりながら、青年は言葉を紡いだ。 「・・僕がこうやって掌で転がしたから、山崩れが起きたんだよ」 遠くの方から人々の嘆く声や叫び声が聞こえてくる。 けれどその声などカヤの耳にはほとんど入っていなかった。 「この地図はね、一度バラバラになった後、自身に起きたことを その描かれた場所で同じように再現するんだ」 トフィはシン山のパーツをまたはめ直すと、今度は別のパーツを持って戻ってきた。 カヤはそれを直視することができなくて視線を逸らしたが、 相手は大して気にもせず、話を続けた。 「これは家の前の大地のパーツ。これを割ったらどうなるか・・わかるよね?」 少女はフルフルと頭を振って、知らない・・!と必死に抗議した。 その顔からは涙が溢れ、零れた雫はポタッと床に落ちた。 青年はそれには構わず、まぁいいや、と告げ、 「山の侵入を防ぐのが僕の目的だし・・君を傷つけたいわけじゃないしね」 苦笑しながら青年は持ってきたパーツを地図へと戻した。 少女の隣に戻ってきた青年は、ふぅ、と考え込むように腰を下ろした。 顔を俯かせていた少女は嗚咽交じりにどうして、と呟いた。 「どうして・・あんなことしたの・・・?」 自分の知っているトフィは絶対人が悲しむようなことなんてしなかった。 誰も頼れなくなったカヤを引き取り、朝の苦手な彼女のために朝食を作り、 たとえ相手が間違っている時でも決して相手を責めなかったトフィが。 今目の前にいる青年は姿こそ同じものの、とても同一人物とは思えなかった。 平然と人の死を見つめ、それどころか自分がそう引き起こしたのだと言っている。 優しく手を差し伸べるはずの手で、犠牲を払いながら実証しようとまでしたこの男が。 ・・今のカヤには、トフィだとは思えなかった。 両手で肩を抱きながら精一杯相手を拒絶している少女を見て、青年は苦笑した。 「・・山を汚したからだよ」 山の方面を見ながら青年は言った。 「あの山に・・精霊が住んでいる、って言っただろう?」 それは忘れもしない出会ったばかりの頃。 中々寝付けないカヤにトフィが何度も繰り返し話した伝説だった。 軽く頷いたのを肯定の意味と取って、青年は話を続けた。 「あのおかげでこの村は繁栄したというのに、あいつはそれを犯した。 ・・だから」 「だから殺したって言うの?」 青年が言う前にカヤはそれを遮った。 「禁忌を破ったから・・だからあの人たちを殺したって言うの・・・?」 そんなのあんまりだよ・・。 しばらく止まっていた涙が再び頬を伝った。 いくら悪いことをしたからといって同じように返してしまえば やっていることは結局変わらない。それ以前に、人を殺すなんて・・・。 「絶対やっちゃいけないことだって・・トフィ、言ってたじゃない・・・」 何があっても、何をされても。それだけはしちゃいけないって。 目の前で蹲る少女に青年はしばし動けなかった。 少女を悲しませることはしたくなかったのに。 悔やんでもやってしまったことは戻らない。 今自分がここにいるだけで、少女は傷つき続けるだろう。 スクッと立ち上がった気配を察したのか少女が顔を上げると、 青年はガラスの地図を両手に抱えて、ドアの方へと歩いていた。 「・・トフィ・・・・・?」 少女の声に青年が後ろを振り返ると、背中にドンッと何かが当たった。 まぎれもなくそれは少女で、必死に背中にしがみつきながら怒声を放った。 「私を置いてくのっ?家族みたいに・・!」 青年は少女の頭をポンポンッと撫でて、違うよ、と優しく言った。 「僕はいつまでも君を見守ってる。・・場所は離れちゃうけど」 いつもと変わらないその笑顔に一瞬安堵したものの、少女は再び抗議の声を上げた。 「一緒じゃなきゃ・・意味が無いじゃない・・・!」 もう何度目かの涙を流す少女に青年は仕方ないな、と少ししゃがんで少女の手を取った。 そして少女の手にガラスの地図を渡すと、しっかり握らせて最後に微笑んで言った。 「君を傷つけたから僕はもうここにはいられない。 だけどこの地図を持っていればまた誰かが君を守ってくれるから・・だから、バイバイ」 ドアを閉める瞬間、少女が何かを叫んでいたが青年は微笑んだまま、二度と振り返ることは無かった。
あるところに周りを山と川に囲まれた小さな村があった。 そこは商人の行き交いも無く、収穫の無い季節や年は食糧不足で困窮していた。 このままでは村人全員が全て死んでしまう・・・。 そう考えた村の人々はある家を訊ねた。 その家には少女ただ一人が住んでいて、彼女はいつもガラスで出来た不思議な地図で遊んでいた。 少女は昔神様に会って、その地図をもらったらしい。 そこで村人はもう一度神様に会って、どうにかこの村に恵みをもたらしてくれないか 頼んでくれと必死に懇願した。 少女は最初は乗り気ではなかったが、何でも言うことを聞く、という条件でようやく承諾した。 どんな要求を迫られるかと思っていた村人は、少女が出した条件に呆然としてしまった。 「私、一緒に話をしてくれる人がほしいな」 それならお安いご用と、村一番の話し上手な青年が少女と一緒に住むようになった。 それから数日後少女は山の麓へ行って、神様に村の状態を説明した。 それから幾日か経った後、村のあちこちに水が溢れて、 人々は多くの収穫を得ることが出来た。 少女にお礼をしようと家を訪ねた村人達は、しかし結局それを果たすことが出来なかった。 なぜなら少女は麓へ行ったままそこに留まり、山の地下に閉じ篭められてしまったからだ。 詳しい話は分からないが、少女はそこでまた一人ぼっちとなって 再び誰かが訪ねて来るのを待っていたという。 青年はといえば、預けられた地図を片手に、しばらく村中を歩き回った後、 ふらりと姿を消してしまったという。 後に村にこれは伝えられ、恵みをもたらしてくれた少女を『水の精』と崇め、 少女に負担をかけてしまったことからその山を『罪の山』すなわち『シン山』と名づけ むやみに山へ立ち入ることを禁止したという。
2007.4.7 硝子の唄人 華青 |